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火気厳禁の書斎

名は体を表す。です。

Bad trip

この頃よく夢を見る。バッド・トリップのあの状態のまま寝ると必ずこの夢を見る。自分はどこか白く広い部屋の中、デスクの上の電話を取って何か喋っている。電話の相手は女だ。しばらく何か話していたその時、破裂音が炸裂する。頭を上げるとボーイッシュというよりはいささか男性的な格好の女が銃をこちらに構えていた。 「おい、止めろ、ヴァレリー!止めろって!」 それでも引き金を引く指は止まらない。視界がグラっと揺れる。脇腹の方を見ると、血が吹き出している。訳が分からぬまま、ゆっくりと視界が曇る。白くぼやける。また発砲。体の中で爆弾が炸裂したような衝撃が走る。息が漏れる。遠くに人の声が聴こえる。そして何度かの銃声も。夢の中の俺は正に虫の息といった体でぼんやりと血を流していた。すると男が一人、傍らに駆け寄って来る。 「おい、やめてくれよ。笑うと痛いんだ」 男は笑っているのではなく泣いている。ここで夢は終わる。
ふっと眼を覚ます。カーテンは開いている。窓は真っ黒に塗り込められている。重たい頭を引きずるようにして時計を見る。奇妙な感覚だ。今は午前二時、三十八分。辛うじて覚醒した意識で眠る前の記憶を探る。あの夢を見たってことは…、俺はまたやり過ぎたようだ。アンフェタミンの錠剤を少々丼勘定に嚥んでしまった。結果、バッド・トリップとなり俺は寝込むしかなかった、らしい。俺は温い水道水をコップ一杯飲み干すと、荒れた部屋の片付けに取り掛かった。

アンフェタミン (英語:Amphetamine, Alpha-methylphenethylamine) は、間接型アドレナリン受容体刺激薬としてメタンフェタミンと同様の中枢興奮作用を持つ。同様の作用機序により中枢興奮作用を持つメチルフェニデートは注意欠如、多動症ナルコレプシーの治療薬として用いられる。また、強い中枢興奮作用および精神依存、薬剤耐性により、反社会的行動や犯罪につながりやすいため、覚醒剤に指定されている。(Wikipediaより引用)

錠剤が残り少ないのを確認する。部屋は多少片付いたが、未だゴミが溜まっている。家賃月四万の部屋にはゴミとドラッグと俺だけが存在している。腐った畳。汗と安酒。汚れた財布を何とか探し出すと、部屋を出た。アンフェタミンは専門の業者から買う。いつものビルの地下一階、帽子を目深に構えた背の高い男が居る。総合病院地下一階駐車場の隅。アンフェタミンの錠剤を幾枚かの紙幣と引き換えに手に入れる。百錠入りの瓶。軽いものだ。俺の命もこの瓶も。部屋に戻ると何処からか喧しい着信音が鳴っている。携帯か。携帯だ。再び部屋を再構成する作業に入る。携帯には電話が掛かってきている。表示されているのは古くからの友人の名だ。「はいもしもし」。
「なあ、お前、金に困ってねえか」
ここで少し考える。「まあ」
「強盗、やってみねえか」
「は?」
「強盗だよ強盗」
「今時強盗なんてしたら確実にアシがつくだろ」
「金が必要なんだろ?一瞬で手に入る」
「ちょっ、待って」「詳しく話が聞きたいんだが」「会えないか」
「いつでも大丈夫だけど」
「じゃあ、『レティクル9』で」
「おお、懐かしいな」「いつ?今から?」
「今から」
電話を切る。俺は碌でもない部屋から碌でもない世界に一歩を踏み出す。向かう先は昔通った喫茶店の『レティクル9』だ。尤も、こんな時間に開いている訳がない。駅の近く、七回右に曲がるとそこに出てくる。未だ奴は来ていない。俺の耳が何処かから流れてくるラジオの声を拾う。 『んで、今日の昼から行ってきたわけですよ。試合に。試合って言っても中継を見に行っただけなんですけど。んまー、凄い熱気で。ええ。昼なのに試合をつまみにビールやってる人なんかもいたりしてね。え、CM? ああ、それでは一旦CMでーす』 FMだろうか、と俺は思う。街の暗がりはこんなにも深くなっていた。時計の針と月の明かりだけが世界を構成していた。それ以外はおまけみたいなものだ。 『はいー。ちょっとCM入っちゃって申し訳ないんですけども。まあ行ってきたっちゅー話です。さてお便りが届いていますねーご紹介しましょー。ペンネーム秋将軍さんですありがとうございます。達夫さんこんばんは。今晩のメールテーマなのですが、僕は学生時代に』
「おーい」
ついさっき電話で聞いた声がした。夜道の奥底から、旧友は現れたのだった。
「よう」
それから話をした。強盗。内容はこうだ。隣町の中古ゲーム屋に侵入し、そこの金庫を奪って逃げる。なんでもその店舗は割と大型で、金庫の中身も期待できるらしい。「それは確かなのか?」 俺は探りを入れてみたが、奴はすかした答えしか返さなかった。それでも俺はやることにした。強盗を。
「いつやるんだ」
来週、と奴は答えた。まあ、結構だ。俺は定職を持っていない。明日決行だろうと一向に構わない。再び部屋に戻る。そこから一週間はあっという間だった。悪夢も見なかった。ゴミとドラッグと俺だけが変わらずにそこにあった。そして一週間後。『レティクル9』で待っていると奴が来た。車を用意したらしい。俺は助手席に乗る。
「なあ」
「あん?」
「金庫ってどうするつもりだ」
「二人で運んで一旦ズラかる」
「んで、後から工具で中身出す」
夜道は永遠に続いているかのようだった。街灯はちっぽけな光を沈殿させていた。目的地までは三十分ほどだった。友人は車を降りると金属バットを取り出し、手頃な窓を探す。警備はと聞くと、ここはそういう類のものを設置していないそうだ。
「確かなのか?」
そう問う前にガラスは叩き割られていた。懐中電灯を照らす。そして中を検分する。俺も中へ入る。真っ暗な店内に非常灯だけが真っ赤に光っている。事務室を探す。赤。白。それぞれの光が交差する。「ここだ」。扉を開ける。簡素な内装。照らす先は金庫。二人でそれを持ち上げる。大振りな金庫では無いが、確かに中身は詰まっているようである。なんとか重たい金庫を車に載せると、感慨もなく車に乗り込む。そして走り出す。ラジオの雑音が耳に障る。先週聞いた番組だった。『えー、今週のメールテーマは最近の熱いコトですー!メールどしどし送ってくださいねー。まー熱いって言ったら今はやっぱり気温ですよねー。まだ6月だってのにカンカン照りの日が続いてもー、あ。メール紹介します!ラジオネーム桃色眼鏡さんから。『こんばんわー。いつも勉強しながら聞いてます』え待って!?こんな夜中に?寝ろよ!『今週のメールテーマは熱いですが、最近僕は音楽に熱を入れています!新しいギターを』』
「着いたぞ」
「ん、ああ」
ドアを開ける。
「ここは?」
「まあ、事務所みたいな」
何か事情のありそうな声音だった。しかし俺は何も問わなかった。金庫を運ぶ。「じゃあ、また開けたら連絡するから」。車で送ってもらった後、俺はまたアンフェタミンを使う。呑む。呑まれる。バッド、トリップ。俺はまたあの夢を見る。撃たれる悪夢。もう部屋の中には何も残っていないような気がした。