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火気厳禁の書斎

名は体を表す。です。

Silver

ベルトコンベアの上の鈍い銀色。俺は手にした器具を機械的に規則的にその銀色にあてがって次に送る。眼はとうに銀色に慣れてその反射する鈍い光も馴染んだものだ。ベルトコンベアでさえも銀色だし、何が悲しいのか壁も床も全て銀色である。しかし画一で無く、それらは一つ一つ微妙な違いを持っている。ある時は活きの良い魚のような銀。ある時は宇宙に煌めく星のような銀。俺は一定速度で流れる銀色の金属塊を器具で加工する。加工し続ける。それが俺の役目。決められた役目。
埃を被ったブラインドから差し込む日光はいつも通りだった。カタン。アパルトメントの自室のポストから音がする。開けてみればありふれた、とても記号的な封筒が入っていた。中には「今日からここで働くように」と住所が書いてあった。幾分懐疑的な感情にさせられたが、どうせ定職は無い。行ってみると、そこには銀色の工場があった。
俺は働く。機械のように働く。何を作っているのかは知らない。ただ言われた通り(実際にはマニュアルの通り)に器具を振るっているだけだ。俺は薄暗いロッカールームを出る前、ふと気になって工場の前を調べることにした。甘んじて受け入れた運命だったが、あの時に感じた懐疑がふっと蘇る。暗い廊下を一人歩いてみる。踏み入れてはいけないかのような感覚に襲われる。誰かに見つかってはいけない。そんな風に思う。俺は煙草に火を点けて革靴を鳴らさないように歩く。長い長い廊下だ。俺は一つの戸を見つける。鍵は掛かっていない。そっと押してみる。まずは光。その次に歯車が噛み合うような音が耳に入る。ベルトコンベアの動く音だ。
そこにいたのは俺と同じように働く男だった。部屋は薄暗く扉の隙間からは金属の一部しか見えない。しかしその動作は見える。俺と一緒だ。俺はそっと扉を閉めた。どういうことだ。理解が及ばないが、俺は歩みを続ける。既に夜は深い。「EXIT」のドアを見つける。そういえば、この工場の外は見たことがない。いつもバスの乗降口からそのままロッカールームだ。作業場に入れば窓は一つもない。ドアを押して外に出る。そこには巨大な、長い、滑走路が走っていた。煌々と照らされている。遠くには同じような銀色の大きな建物がある。暫くその景色の広大さに呆然としていると、空から甲高い轟音が鳴り響いた。遠くの月空に、銀色の―――これもまた銀色だ――――飛行機がこちらに向かっている。飛行機が近づくと、軍用機のようなシルエットが見て取れた。その銀色は圧倒的な音と風を伴って着陸した。機体には米軍の象徴、青字に白の星が付いている。
俺は怖気づいていた。何が何だかわからぬまま働いていた工場に、何らかの形で軍が関わっていたというその事実に。俺は引き返す。ロッカールームの端の戸を押す。開かない。もう一度強く押してみる。やはり開かない。鍵がかかっている。気づけば、もうこんなに夜が深まっている。誰かが気付かずに鍵を閉めていったらしい。他に出る道を探したが、結果は一緒だった。俺はフェンスにもたれ掛かって座る。広い空には月が一つだけぽっかりと浮かんでいる。月は銀色だ―――、まったくもって銀色だ。ちらと滑走路の奥を見る。軍用トラックが軍用機の近くまで寄っている。あれは何だ。銀色の入ったケースをただひたすらに飛行機に積み込んでいる。俺が作っていたもの、なのか?確証も何も無いが、とにかく少しづつ近づいてみる。靴の音を気にしながら、少しづつ。ようやくその輪郭が見え始めた。
「おい」
体が硬直する。まずい。気づかれた。
「そこで何やってる」
壮年の男の声だった。俺は両手を上げて滑走路の真ん中へと進む。問題は「これから俺はどうなるのか」ってことだ。「お前、どうやってここに入った」。ぶっきらぼうに尋ねられる。どう答えたらいいのか少し迷ったが、「工場内で迷ってしまって」と言う。男はふんと鼻を鳴らして次のケースに手をかけた。
「ということはお前、工員だな?」
「ああ」
男は少し黙ってから、「これ、何するもんか知ってるか?」とケースの中を指し示す。俺は首を横に振る。男は何が可笑しいのか笑う。大きな笑い声は、夜空によく響いた。
「はっは!工員は何も知らねえってマジなのかよ」
「…どういうことだ」
発作的な笑いに、途切れ途切れ言葉を挟む。
「こいつは、デカい、大砲の部品さ」
「この飛行機で、別の、工場まで、運ぶんだ」
いまいち飲み込めない。銀色の月は静かに辺りを照らしている。さながらサーチライトのように。男はようやく落ち着いたようだ。
「お前、暇なら荷物の積み込みを手伝ってくれよ」
まだこんなに残ってる、と彼は言った。仕方がない。俺はトラックの上のケースを持ち上げた。
「こんな工場がいくつも?」
「だろうな、見たことはない」
「何の為に?」
「さあな、俺も下っ端ってことさ」
「飛行機のパイロットは?」
「俺だよ、こんな仕事を任されるのは腑に落ちんがな」
最後にトラックを遠くに見える建物に戻して仕事は終わりだそうだ。トラックの助手席に着く。あの銀色の建物は倉庫だそうだ。丸いフロントライトの影。エンジンは低く嘶いている。ブレーキ。ガレージの中は暗く、そして何も無い。倉庫へ続く扉を見つける。こちらの戸は開いていた。「ああ、鍵を閉めるのを忘れていた」。中を見たいと告げると、「何も無い」と言いながら案内を始めた。蛍光灯の光にコンテナの山が浮かび上がる。すべて銀色の部品だった。
「こんなに…」
それは一種の暴力にも思えた。それほど圧倒的な量だった。
「工員はお前だけじゃないからな」
「運べる量も限られてるし」
作りすぎ、という訳では無いらしい。俺は恐怖した。訳の分からないまま武器を作り、訳の分からないまま遠くにそれが送られて、知らない命が失われていく。それは俺に対する侮辱でもあった。無知な大衆を利用しているのか? それとも軍需企業の策略なのか? わからない。男も知らないだろうし、俺にも勿論わからなかった。「言っただろ、何も無いって」。ベルトコンベアは地下を通ってこの倉庫に繋がっているようだ。ベルトのゴムは傷ついてどこか古臭い。この茶番は一体いつから続いているのだろう? いつまで続くのだろう? 
「もう充分だ」
俺と男は再び車に戻って工場の方へ向かった。夜はとうに更け始めている。朝日の眩しさは網膜とは別の所に映っていた。「いけねえや、遅刻だ」。男は飛行機に乗り込む。「達者で」と言うと、重そうなドアを閉める。暫くの後、飛行機は着陸と同じように轟音を撒き散らして離陸した。まだ太陽が登り切っていない空。水平線に飛行機が吸い込まれていく。俺はロッカールームの扉をまた押してみる。今度は開いていた。もう既に誰かが働いているのだろう。永遠に銀色を作る誰かが。バスを待って工場を出た。アパルトメントの部屋は酷く狭く思えた。テレビを点ける。銀幕の女優が映っていた。すべてが空虚に響いた。絵空事、白日夢、そんな感じだった。そうしている内にとてつもない疲労を感じた。ああ、この数日間は夢だったのかもしれないな。そう思いながら俺は瞼を閉じた。