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火気厳禁の書斎

名は体を表す。です。

終わり

小説

生温い日差しが部屋の隅から差し込む。静かな朝。いや、昼かもしれない。とにかく明るいということだけは確かだ。軋むドアを開けて外に出る。静かな街。いや、廃墟か? とにかくだ。まずは腹を満たさなければならない。街に残った食料について考える。ええと、確かあの信号を曲がったところのコンビニは生きていた筈だ。僕は自転車に跨って目的地まで駆けていく。車道の真ん中を走るのも飽きたので歩道を走る。信号は動いていないのですぐ到着した。店内に入る。このところバールが役に立って仕方がない。今日も早速ドアをこじ開け、もとい破ってくれた。店内は薄暗い。しかし冷蔵のコーナーだけは生きている。発電機で生かしている。僕は一つ弁当を手に取ってみる。贅沢は言ってられない。僕はレジの内側から割り箸、そして常温の水を取ってきて食事を始める。もう一週間以上、水しか飲んでいない。腐らないから、だ。僕は冷たい「唐揚げ弁当 489円」を食べながら、どうしてこんなことになってしまったんだろうと思った。
この記録を―――元々日記だったのだけれど―――、読むにあたって、必要な予備知識がいくつかある。それはこの世界が現在進行形で滅亡している、ということ。そしてこの街にはもう自分しか居ないこと。他の地域はどうなっているのか、は知らない。というのも、いつからか電力の供給が断たれて情報がまったく手に入らなくなった。生憎電池で動くラジオは近くに見当たらなかったので、情報のすべて断たれたスローライフって訳だ。
冷たい弁当で腹を満たした後、コンビニの雑誌を適当に読む。もうコンビニに置いてあるような雑誌は全て読み尽くしたのだが、それでも何か新しいものを探す。目ぼしいものは無い。僕はまた永遠に最新号が出る事のない「週刊少年ジャンプ」を読む。永遠に続きが読めない漫画達。僕は何だか遺書を読んでいるような気分がした。そろそろ、自分の部屋に戻る頃かな、と思った。太陽は天頂に到達する手前だった。自室は窓も開けず暗かった。僕は発電機のエンジンを掛ける。パソコンを繋ぐ。今日もチェスゲームをする。残念ながらネット環境は無い。今日も今日とて勝つ。白駒が勝つ。レベル8のCPUが負ける。レベル9のCPUが負ける。その無気力な勝利ですべてを満たす。時間だけが過ぎていく。盤上の駒は何を考えているのか。それ以上に、僕は何を考えているのだろう。世界が終わろうとしているのに、部屋は以前散らかったままだ。パソコンの時計を見る。午後三時。とりあえず部屋を片付けることにした。床に寝転がったゴミをまとめる。本棚に積まれた本をきちんと仕舞う。やることがあるというのはこんなにも素晴らしいことであるのか。僕はクローゼットの中まで引っ繰り返して掃除を始めた。それから体感で1時間ほど作業を続けていた。そして小中の卒業アルバムを見つけた。開いてみる。顔写真に名前。僕は人並みに昔を思い出す。ページを捲る。運動会。オリエンテーション。修学旅行。ふと、この人達はもう居ないんだな、と思う。知った顔がこの世から消えていのは辛いことだ。僕は中学校に行ってみようかなと思った。もう一度、あの地を訪れてみようかなと思った。次の瞬間には歩み出していた。再び自転車のペダルを踏む。通学路。懐かしい風景と現実のすり合わせに戸惑いが生じる。校門は開いていた。全部が全部数年前のままだった。しかし記憶の中の学校はもはや色褪せていた。プールの水は濁りきっていた。僕はまたバールで扉を破壊して中に入る。ガラスが飛び散って、悲痛な響きが残る。静かな廊下。締め切られた窓。生きているものの匂いがしない。埃っぽい時間の匂いがするだけだ。時計は止まっていた。忘れ去られた場所。僕は何かミニチュアの世界に迷い込んだような気がする。誰かのタイムカプセルの中に、迷い込んだような気がする。そうか、僕は時間が止まった世界に生きているのだな。もう放課後の筈なのに、部活はいつまで経っても始まらない。夕日は黒い雲の後ろからその赤い光を示していた。教室に入る。黒板。チョーク。落書きされた机。色褪せたプリントの余白。窓の鍵は壊れていた。外を眺める。もう既に太陽は沈みかけているが、明かりが点いている家は一つもない。ただの一つも。市民球場の照明塔は押し黙っている。自分が住んでいるこの街が、こんなにも広いことに今気付いた。僕の知らない人々が、僕の知らないところで、僕の知らない人生を送っている。その当たり前の風景が、消えて無くなった街。僕は色々なことを思い出していた。ありふれた友情。叶わない恋。憂鬱な月曜日。僕は窓を叩き割った。
夜が真っ黒な霧を辺りに立ち籠めさせる。まだ僕は学校の中に居た。夜の学校。とにかく真っ暗だ。非常灯ですら点いていない。僕は眠りについた。微睡みが精神を苛んでいた。気が付くとそこは夢の中だった。世界はモノクロだった。音は死んでいた。しかし他人は生きていた。袖すり合うも他生の縁。起きたのは夜明け前だった。薄紫の空。もうすぐに太陽が登ろうとしていた。僕は瞼を擦った。目の前の椅子に腰掛ける。机の中の文庫本は太宰の「斜陽」だった。ページをぱらぱらとめくっていると、空が白んできた。太陽がまた昇る。また、孤独が始まった。