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火気厳禁の書斎

名は体を表す。です。

ウネ貴公子と胸騒ぎの東京湾

『M』は突然の要請に驚いた。

人工衛星チャーチル」の広域金属探知機能を作動させるのは航空宇宙局の認可が要る。

部署間のホットラインに指をかける。

「あーもしもし。至急東京湾全域の金属探知を開始してくれ」

「五秒しか待たないぞ、いいな」

 

 

 

画面には地図と赤い影。

潜水艦だ。

「やっぱりね」

護送車の手配は済んでいる。

紫の影を路面に落とす都市。

さっさと行こうじゃないか。

今宵で全て終わらせる。

 

 

 

朽ちた「関係者以外立入禁止」の看板。

緩んだロープ。

寂れた申し訳程度の窓ガラス。

日は落ち、都市の喧騒は遠のく。

公子は港湾倉庫群を前に、敵の出現を待つ。

公子は決して油断しない。

夜会服の内ポケットには拳銃が二丁。

弾倉は7つ。

波の音。鴎が鳴く。

雲行きは悪くなり、今にも雨が降りそうだ。

「誰だ」

気配。振り返る。

「慌てないで」

臙脂紫。

彼女もまた、武器を手に此処へ来たようだ。

「何故ここへ?」

「貴方こそどうして?今東京湾には伊反を回収する―――」

轟音が響いた。

凄まじい水音。

海面から顔を出したのは、丸みを帯びた鋼鉄の塊。

黒々としたその姿は、鯨の様だった。

「なんだ、あれ」

「潜水艦よ。中々パンチ効いてるわよね」

「伊反は?」

「もうあの中よ。だから」

臙脂紫は懐から見慣れない銃を取り出す。

彼女は躊躇うこと無く潜水艦に向けて引き金を引く。

銃口からは棒状の物が発射される。

空中で棒は三叉に展開し、忍者の鉤爪のような器具であったことがわかった。

「ほら、掴まって」

手を差し伸べる臙脂紫。

暗闇に映る輪郭は細く、どこか少女を思わせた。

 

 

 

潜水艦の甲板にかろうじて体を乗せると、入り口を探す。

こんな所は案外ローテクのまま、単純なハッチになっている。

「依頼人が殺し屋を回収、ねえ」

公子は敵の迂闊さに救われたと少々頬がほころぶ。

しかし、油断は禁物だ。

「待って」

「普通にハッチから入ったらソッコーでやられちゃう」

指差す向きを見ると、網目格子の蓋らしきものがある。

「浮上時に換気するためのインテークね。よいしょっと」

工具の類を仕舞うと、蓋を海に投げ捨ててするりと潜っていく。

危ない。

縦に通気口の筒が伸びているので、そのまま体が投げ出される。

暗い。

マグライトを点ける。

どうやら機関室に繋がっていたらしく、機械が唸る音が小さく響いている。

「ほら、これ着けて」

臙脂紫は無線の小型通話機を投げて寄越した。

「一体君は何処にこんなたくさん道具を隠してるんだ?」

彼女はちょっと首を傾げると、「私、着痩せするタイプだから」と笑った。

公子は右耳に無線機を装着し、「さて、これからどうする」と問う。

「無線機を渡したってことはまた二手に別れるつもりか?」

「そうね、艦内は狭いし」

「何より地図がないものだから」

公子は扉を開けて右に曲がることにした。

「あなたの無事を祈るわ」

「君こそ」

生きて帰ろうじゃないか、全く。

 

 

 

伊反裁音は潜水艦の中、食堂で遅めの夕食を取っていた。

「で、アタシはこれから十時間この船に乗ってればいいワケね」

紅茶を啜る。

「大体、イギリスの間諜ごときにここまでする必要無いでしょ?」

向かいに座るのはソヴィエトの幹部らしい壮年の男性だ。

「しかし…」

「考えすぎだって。アタシ、早く仕事したいなぁ」

先程支給された新しい道具を撫ぜる。

「あ、もう下がってていいよ。スポンサーくん」

「は、はいっ」

殺し屋の発するオーラに呑まれていた男は、僅かに恐怖を滲ませながら退席する。

蛍光灯の明かりを吸い込み、刃物は鋭く光っている。

「刺客だって殺しちゃうって言ってるのに」

 

 

 

足音を殺して走る。

どうやら船はふたたび海底に沈み、航海を始めたようだ。

本当にこの中に伊反裁音はいるのだろうか?

疑念を抱きながらも、貴公子は歩みを進める。

ゆっくりと、歩く。

低い唸りは耳の中で今も疼いている。

公子は緊張していた。

実体を掴めないものの、殺し屋の目が届くところまで来ている。

命の保証はない。

鼓動が聞こえる。

勿論、自分のものだ。

呼吸を整える。

再び歩いていくと、臙脂紫から通信が入った。

『聞こえてる?貴公子

「ああ」

『今、メインの機関室の前。どうやらこの船、原水みたい』

原子力潜水艦。

現在、保有している国は数少ない。

しかし、何故そんなものを『新生ソヴィエト』が運用しているのだろうか。

『軍需企業がスポンサーについていたとしても、これはやりすぎよね…、もしかして共産圏の小国群が絡んでるかも』

通路は終わり、次エリアに向かうハッチは閉じている。

『待って』

『居住エリアである可能性が高いわ』

『私が合図するまで、待ってて』

通信は切られた。

待機。

なんだか彼女にリードされてばかりで申し訳無さを感じる。

視界の隅に、何やら小さいものを見つけ、よく見ると、それは船員の携帯電話だった。

液晶は仄かな明かりで照らす。

海底なのにネットワーク回線は繋がっている。

「この類の機器なら」、貴公子はパスワードのロック画面に11桁の解除コードを打ち込む。

ロックが解除された。

『貴公子

集中の糸がプツンと音を立てて切れる。

『ハッチを開けられるようにして』

『今すぐ』

言われるままにハッチの桿を回す。

『いい?カウント0で突入よ』

『3』

『2』

『1』

爆発音。

それでも貴公子は任務を遂行するため、踏み込んだ。

船員達が寝ている。

動かない。

おかしい。

「おい、君、何をした?」

向かいのハッチから出てきた臙脂紫は「コンカッションボムよ、手榴弾の一種」と一言。

「脳震盪を起こして敵を無力化するもの。まあ、余計に敵を呼んじゃったみたいだけど」

警告灯が回る。

ロシア語のアナウンスが鳴り響き、さっきの手榴弾の効果が薄かった船員が起きる。

二人は身を伏せて、視線を、死線を掻い潜る。

幸い、回転灯の明かりだけが光源だ。

公子はさっきの携帯を船員の顔に勢い良く投げつけ、追うようにして跳ぶと、首筋を締め、意識を完全に落とす。

「三秒。ちょっと長いかな」

携帯電話を拾って次のエリアに抜けると、回転灯の光に彩られた女が一人、立っていた。

 

 

 

『警告。

艦内で強い衝撃が与えられた。

侵入者の恐れあり。

総員警戒態勢に移行せよ。』

伊反は聞き流す。

あくまで仕事だ。

飽くまで殺すなんてことは度が過ぎる。

「ねえ」

「命令なら、侵入者、殺してもいいけど?」

後ろの船員達に話しかける。

「いくら積めば…」

「お金なんて今更良いよ。殺したいッツってんの」

「淑女にこんなこと言わせちゃって。大丈夫なの?」

 

 

 

引き金に指を掛ける。

銃を持つ手が震える。

「あら。意外に余裕あんのね」

言う女こそ余裕そうだ。

「すぐ撃ってくると思ったのに」

「そっちのお嬢ちゃんもお仲間?楽しそうね」

手には少々大振りなナイフ。

回転灯は警告する。

完全に相手のペースに呑まれている。

圧倒されている。

奥歯を食いしばる。

「先手必勝って、日本では言うらしいわね」

「後手に回ってちゃ、殺すわよ?」

気付くと、伊反のナイフが首筋に触れていた。

「危ないっ!!」

臙脂紫が棒立ちになった貴公子の脚を払い、そのまま伊反の懐に潜り込む。

「離れて」

公子はかろうじて気を取り戻すと、目の前の闘いに慄いた。

刃が煌めく。

「中々やるじゃない?」

殺人者の笑み。

ナイフは彼女の手の中でぐるぐると回り、廻り、そして突き出される。

ほぼ丸腰だと思われた臙脂紫だったが、どこからかMk23――ソーコムピストルと呼ばれる大型の拳銃だ――を取り出して応戦している。

ナイフの峰を銃身で受ける。

「まあでもー」

「この辺で終わりかなっ」

縦横無尽に振り下ろされるナイフ。

究極の一撃。

それは最後を確信した一撃だった。

「油断大敵」

公子は不意を突く。

伊反の振り上げた右腕に向けて、9mmの弾丸を放つ。

閃光。

意識の外からの攻撃は必ず当たるはずだ。

瞬間、伊反がその右腕を翻した。

金属音。

「あーあーあー、ナイフが歪んじゃったじゃない」

回転灯の赤い灯が、ぬらぬらと眼を映す。

「まだまだって感じねェ」

赤く染まった伊反は、ナイフを手の中で回し続けている。

刃には円形状の歪み。

「跳ね返した…!?」

「日本のマンガでよくあるでしょ?こういうの」

「アタシにはこっちの方が馴染むってワケ」

臙脂紫はMk23を構えているが、発砲すると貴公子まで怪我を負いかねない。

公子は頭を搾る。

この状況を打開する最善策。

そうだ。

公子は胸、内ポケットに忍ばせた物を取る。

じわじわと近寄る殺人者。

「もう手も足も出ないってワケぇ?」

あと二歩。

一歩。

思い切り投げた。

顔目掛けて、さっき拾った携帯を。

公子は右腕を掴み、そのまま捻り上げる。

力を入れてそのまま押すと、伊反は床に伏せるように倒れた。

「何が…」

 

「何が起きたか聞きたいか?」

「お前はここで始末される」

「それだけだ」

公子は拳銃を取り出すと、一つ息を吸い、その銃口を伊反の頭に向ける。

慄える。

指先の感覚が嫌にはっきりとしてくる。

しかし時間は無い。

公子は逡巡と躊躇いと戸惑いの末に、引き金を引いた。

 

「さて、伊反を殺したという報告は済んだわ」

「あとはどうやって脱出するか、だけど…」

臙脂紫は言葉を濁す。

船内のサイレンは一層強く響く。

『侵入者が存在している模様。

総員第一種戦闘態勢に移行。』

『原子炉内温度現在389℃』

『進路を変更する。揺れに注意せよ』

公子は気付く。

伊反の死はとっくに気付かれた。

それはわかっているが、何故進路を変えるのだろうか。

関連性はないのだろうか。

思索に耽っている暇は無いのだが、考えこんでしまう自分がいる。

 

 

 

「長官、こんな電子メールが」

『M』は部下から渡された端末を視る。

『君達の刺客ごと、原子爆弾で東京を壊滅させる。

これは、報復だ。』

「…新生ソヴィエトの連中か」

「ええ、恐らく」

「なんて事をしやがるんだクソ共め!シベリアで脳味噌まで凍ってるのか奴らは!」

「どうしましょう」

「どうしましょうも何も、即刻日本政府に連絡!あくまで内密に終わらせるぞ」

「了解しました」

 

船員は必要最低限に抑えられていたらしく、貴公子と臙脂紫はまだ見つかっていない。

『普通、発砲音が聞こえたら駆けつけて来るもんなんだけど』

『まあ、私がダウンさせた分で全員だったのかなー?』

彼女は少し上機嫌っぽく言う。

『…』

ノイズが入る。

『…応答せよ』

『応答せよ、007』

「こちら007。『M』ですね?」

『ああ。緊急通告だ。その船は今、東京に向かっている』

『東京湾に着いたらすぐ、原子炉を暴走させる気らしい』

『つまり、東京を壊滅させる気だ』

 

「最終手段だ。二十余名は、革命の為に死ぬのである」

ロシア。

サンクトペテルブルグの地下。

新生ソヴィエトの幹部、書記長の男は言う。

「しかしこれは…、いささかやり過ぎではないだろうか」

「何を言う!世界の同志達との繋がりは今や国際機関と同等。戦争の一つや二つ、問題なかろう」

蛍光灯の白い光。

重たすぎる空気。

「…もう指示は出したのかね?」

「ええ、“ゴルバチョフ”殿」

老齢の男が口を開く。

「そうか…、ならば」

葉巻を置く。

「覚悟は出来ている、という事だな」

 

操縦士と船員、伊反と我々。

それがこの潜水艦の乗員全てだ。

公子は再び船員の居住スペースに入る。

「…」

眠っている。睡っている。

昏睡している。

しかし炉は動く。

動き続ける。

海の流れを遡行して、破壊に、破戒に向かう。

 

臙脂紫の銃が火を噴く。

彼女は潜水艦の操縦桿を握る男を殺す。

殺す。

殺す殺す殺す。

「…ふぅ」

中々手練ではあったものの、交戦を前提にしていなかったと思われる丸腰装備で私に適う筈がない。

「これで進路変更できる」

『出来るだけ手を汚させない』。

今回の裏テーマだ。

彼女は出来るだけ貴公子をリードし、謂わば「新入り」をエントリーシートに載せる為のイントロダクション。

本番はここから。

操縦桿が動く。

 

カザフスタン共和国

バイコヌール宇宙基地の一角、古臭い通信機器と男。

「…まったく」

次々に待機状態を解いて通信を開始する。

「ああ。通信は正常」

『潜水艦を捕捉して遠隔操作しろ』

『東京湾に入り次第炉内温度を上昇』

「よし、繋がった」

「コントロールアダプタを接続」

『一応の航路は入力してある』

「こっちで調整しろ、と」

『ああ。計器をモニタリングしてくれ』

スイッチを一つ一つ切り替える。

『以上で連絡は終わり。何か質問は?』

「オーケイ、上様の言う通りに」

通信を切る。

モニターは一秒毎に数値を映し出し、深度と炉内温度を知らせる。

クレイジーだ。

クレイジーすぎる。

雇われの身だが、この仕事は相当にヤバい。

煙草に火を点ける。

「ラジカセ持ってきてねえな、クソ」

 

「遠隔操作?」

公子は耳を疑う。

「ええ。しかも」

「配線の具合で原子炉に影響があるかも知れない」

ぎりぎりと体を締め付ける深海の空気。

冷えきった空気。

公子は危機を体の芯で感じる。

「『M』は?」

「それが…、遠隔操作のアクセス元の解析に時間がかかってるの」

「埒が明かない、と」

ならば。

公子は走り出した。

 

公子は焦らない。

冷静に冷静に、解決の糸口を手繰り寄せる。

歩く。

思考を加速させる。

ふと。

艦尾に差し掛かった足を止める。

鉄板に刻まれたロシア語。

すぐさま『M』に通信をかける。

「型番KK-109。俺達が乗っている潜水艦の内部に記してあった」

『可怪しいな、それは十二年前のロシアの深海探査船だ』

「というと?」

『安価に購入した探査船を原子力潜水艦に改造…有り得なくはない』

公子は閃く。

歯車が回り出す。

火花が散るほどに激しく。

流石は、貴公子

 

マグライトで辺りを照らす。

「あった」

「船外活動モニタリング室」と書かれた扉を開ける。

計器と小さなモニター。

船外活動用の耐圧服。

警告表示の貼り付けられたハッチ。

「充分だ」

 

「船外から、スクリューを爆破する?」

「ああ」

「『M』からの資料によると、この潜水艦、もとい探査船は」

一息置く。

「スクリューに欠陥があって廃棄処分になっている」

「この船が買い取られたのと同時期に、中国の造船会社に発注があった」

「一応新規の部品を導入してるってことね?」

「でもどうやって止めるのよ」

「ここに成型炸薬がある」

「しかもリモート」

笑みが溢れる。

「これは海底探査の際にマニピュレーターの動作をしやすくする為のもの」

「君はここで爆破のタイミングを計ってくれ」

臙脂紫は貴公子からでも十二分に緊張が読み取れる顔をして、ゆっくりと頷いた。

計器の前に座る彼女を一瞥してから、貴公子はハッチを潜り二重扉の内側に入る。

 

潜水服を着る。

頭部前面に酸素供給ケーブルを繋げる。

思う。

「失敗したら死ぬ」。

自分が。

同僚が。

都民が。

なおさら、失敗など出来ない。

今更、引き返す事など出来ない。

最後にグローブを嵌める。

さあ、最後の大一番。

成型炸薬を持ち、二重扉の外へ、出る。

 

暗い水の底。

頭のフラッシュライトを付け、ハッチの口から続く鉄梯子を探す。

船体に沿って続く梯子を、水に流されないように、下っていく。

『聞こえる?』

無線通信が臙脂紫の声を聞かせる。

「ああ」

「どんな調子だ?」

通信の相手は『そうねえ』と少し間を置いた後、『距離が足りない』と漏らした。

「と言うと?」

『鉄梯子よりずっと遠いのよ、もう三メートルもあれば充分なのだけれど』

「そう言われても」

船体に固定してあるロープの長さは足りているが、足場となるものが何もない。

『そこの、細い管』

『冷媒用の管ね…そこに足を掛けられないかしら』

「了解した」

公子はゆっくりと、一歩を踏み出す。

「かなり不安定だ…。爆破の衝撃に耐えられるかどうか」

しっかりと船体表面のボルトを握る。

「今の段階でかなり不安定だな」

しかし進む。

ゆっくりと目の前を水が流れていく。

あと三歩。

全身に細い針が刺さったような感覚。

緊張感。

あと二歩。

成型炸薬を握る手に力が入る。

東京を救うたった一つの手段。

あと一歩。

「上々ね。炸薬を設置したらすぐ撤収して」

炸薬の背面、カラビナのような器具を足元の管に取り付ける。

危ない、と思ったその時に、貴公子の体は投げ出される。

『気を付けてよっ』

船と自分を繋ぐロープが引っ張られる。

『もう起動しちゃったじゃないの!』

かろうじて船体に体を近づけると、力の限り鉄梯子に近づく。

『5』

水に流された炸薬が船体下部に潜り込んで行くのが見えた。

『4』

手の感覚が無くなる。

『3』

二重扉が近づく。

『2』

呼吸を忘れる。

『1』

「閉じろ!」

二重扉の内側で叫ぶ。

『0』

扉が閉まる瞬間、仄かな光が見えた。

衝撃。

脈動を抑えながら、爆発の瞬間を想う。

排水。

耐圧服を脱ぐ。

「『M』に連絡をつけてくれ」

夜会服を着直し、開口一番こう言った。

「この船から早く引き上げよう」

 

『M』は電波を受信し、次はSASに連絡をつけないといけないと溜息を吐いた。

軍用輸送ヘリと海上救助機の出動を要請する。

「原潜が沈んで戻って来ない…と」

『M』は至急ヘリを到着させるよう、より強く催促の文句を入れる。

「何の為のSASだ!早く作戦に向かえ!」

 

船体が揺れる。

数少ない(生きている)船員達も、目を覚ましたようだ。

ゆっくりと浮上する船。

暫くして、ハッチが開く。

階級章から判断するに、入ってきた者はイギリス特殊部隊、SASの隊員。

「早く出て下さい」

 

「ああ」

「君も早く」

「わかってる」

臙脂紫の手を引く。

登る。ハッチから洋上に出る。

「これで終わりなのか」

「私達の仕事は、ね」

水上機は護衛のヘリを連れて飛ぶ。

どこまでも続いている空を飛ぶ。

どこでもない場所を目指して、飛ぶ。

 

「ご苦労、ウネ君」

諜報局、『M』はそう言って葉巻に火を点ける。

ゆっくりと、ゆっくりと紫煙を吐き出すと、次の言葉を続ける。

「原子炉の冷却を含めた後始末は80%ほど終わっている」

公子は一つ、引っ掛かるところを見付ける。

「船の乗組員は…?どういう対処をしたのですか?」

『M』は葉巻を灰皿に置き、腕を組む。

「…殺処分だ」

 

絶句。

公子は、自分でもよく解らない『喪失感』を味わう。

「これ以上敵対勢力の勝手を許す訳にはいかない。これは見せしめだ」

「何で…、そこまでしなくとも」

SASの優秀は隊員達は立派に仕事をしてくれたよ」

「この件に関しての君の出る幕は無い。下がり給え」

 

「一人殺した程度で、エージェントに成れたと思うなよ」

 

夜会服を脱ぐ。

臙脂紫は何故俺の前で人を殺さなかったのか。

彼女は。

彼女は俺に、人間を殺す人間を見せないようにして――――。

殺傷兵器ばかり持ち歩いて、俺の先回りをする彼女。

感情の奔流。

余りに不甲斐ない。

覚悟も、用意も、不足していた。

歯を食い縛る。

これで、この程度で、貴公子を名乗って良いのだろうか?

迎えのリムジンは、黒塗りの車体を滑らせてこちらに向かってくる。

坊っちゃん、ご苦労様で御座います」

後部座席のドアを開く爺や。

「…帰るぞ」

「ええ、坊っちゃん

窓を流れ行く雲と電灯。

鬱屈した感情を押し込める方法は、当分見つかりそうに無かった。