読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

火気厳禁の書斎

名は体を表す。です。

ウネ貴公子とカリソメ乙女 後編

臙脂紫は肩で息をしながらも、その眼を動かし続ける。

「ソヴィエトの連中、なんで矢を撃って寄越したんだ?」

黒い双眸を輝かせて彼女は振り返る。

「『新生ソヴィエト連邦』は軍まで作ってるのよ。どうやら特殊部隊の『弓道連隊』が動員されたみたいね」

「どうしてまた弓道を…?」

「ロシア人は時々突飛なことを言うものよ」

彼女は半ば諦めたような顔で言う。

貴公子は消化し切れないままそれを飲み込んで、時計を見る。

午前12時。

陽は天高く揚がっている。

「M」からの情報では今日の午後11時には伊反は日本を出るそうだ。

リミットはあと十一時間。

臙脂紫は端末を操作している。

「二人でいるのも危険ね。あなたは」

「ここから一人で動いて」

彼女の眼は据わっていた。

 

 

 

貴公子は大通りの人混みに紛れる。

特殊光学迷彩でカメラには映らない。

いずれにしても、騒動を避けるのなら矢を打ち込んでくる心配はない。

ホテルの方向に振り返る。

そこにも人混み、大きな音。

これ以上厄介事は避けたいか。

それなら、こちらにも手の打ちようがある。

 

タクシーに乗り込む。

「港へ」。

走る。

道路を滑る。

お似合いの舞台を用意しよう。

メイキング映像はDVD盤につけといてやるから。

 

 

 

その頃、臙脂紫は指令の更新を受けて「逃走経路」を「工作箇所」に塗り替えていた。

武装は支給されない。

しかし、闇の中で手をまさぐればいくらでも見つかるものだ。

臙脂紫は護送車の情報を探す。

パチリと懐中時計を閉じる。

針は今も進んでいる。

明確に、明確に、明確に。

 

 

 

伊反はどこへ行くとも知らぬ車の中で、刃の煌きを見る。

バタフライナイフ。

仮初の私には少々重たい武器。

「殺し屋である前に乙女なのよ、私」

運転手は何も言わない。

「好いて好かれた、男が哀し…」

鼻歌を続ける。

ナイフを閉じると、赤信号が変わった。

 

 

臙脂紫は確信を掴んでいた。

実感を持った確信を。

成田も羽田もアテにならない。

水辺。

外に繋がる道はここだけ。

「M」に金属探知の要請をする。

場所は勿論、東京湾。(つづく)